文系

関ヶ原の戦いから豊臣氏滅亡までの流れ

日本史Bの基本的な内容を確認をしましょう!わからない単語は関係のある単語を含め、確認をしてみると、より効果が出ます。

この問題について

【対象者】
日本史B学習者

【目的】
高校の定期テスト・日本史Bでの大学受験対策を想定しています。

【回答予想時間】
10分

【難易度】
★★☆

【Q Creator】
makichanaisiteru

【作成日】
2021年1月19日

問題

  1. 関ヶ原の戦いにおいて東軍の盟主は徳川家康ですが、西軍の盟主は誰ですか。
  2. 徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開いたのは何年ですか。
  3. 1605年徳川家康から将軍職を引き継いだのは誰ですか。
  4. 1614年に起きた大阪冬の陣の原因となった紛争は何ですか。
  5. 応仁の乱から150年近く続いた大規模な軍事衝突が幕を閉じ、平和な時代が訪れたことを何と言いますか。

回答 

  1. 毛利輝元
  2. 1603年
  3. 徳川秀忠
  4. 方広寺鐘銘事件
  5. 元和偃武(げんなえんぶ)

解説・解き方

①問題:関ヶ原の戦いにおいて東軍の盟主は徳川家康ですが、西軍の盟主は誰ですか。





回答&解説

回答:毛利輝元

解説: 豊臣秀吉の死後、豊臣政権存続を訴える石田三成と徳川家康の立が表面化し関ヶ原の戦いに発展しました。西軍の石田三成VS東軍の徳川家康のイメージが強いですが、西軍の盟主(総大将でもある)は毛利輝元です。しかし、毛利輝元は実際の関ヶ原の戦いの場にはおらず戦いが終わるまで大阪城から出ることはありませんでした。

②問題:徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開いたのは何年ですか。

回答&解説

回答:1603年

解説: 徳川家康を征夷大将軍に任命したのは後陽成(ごようぜい)天皇です。その後、家康は将軍職を2年で退きます。 また、1603年は武家伝奏(朝廷と幕府をつなぐ役割を持ち、公家から2人選ばれた)が任命された年でもあります。

③問題:1605年徳川家康から将軍職を引き継いだのは誰ですか。

回答&解説

回答:1603年

解説: 徳川家康を征夷大将軍に任命したのは後陽成(ごようぜい)天皇です。その後、家康は将軍職を2年で退きます。 また、1603年は武家伝奏(朝廷と幕府をつなぐ役割を持ち、公家から2人選ばれた)が任命された年でもあります。

④問題:1614年に起きた大阪冬の陣の原因となった紛争は何ですか。

回答&解説

回答:方広寺鐘銘事件

解説: 関ヶ原の戦い以後も豊臣秀頼は大阪城におり、家康はそれをよく思っていませんでした。そこで、京都の方広寺にある鐘の「国家安康」「君臣豊楽」という銘文に言いがかりをつけました。(豊・臣の文字はつながっているのに、家・康の文字は切り離されている、という言いがかり)この紛争が大阪の役(大阪冬の陣・夏の陣)の原因となりました。大阪夏の陣に敗れた豊臣秀頼と淀殿(秀頼の母、秀吉の妻)は大阪城で自刃しました。また、石田三成・小西行長らが京都で処刑されたほか、西軍大名らが改易(領地没収)・減封(領地削減)されました。 1614年に大阪冬の陣、1615年に大阪夏の陣です。冬➡夏であることに注意しましょう。

⑤問題:応仁の乱から150年近く続いた大規模な軍事衝突が幕を閉じ、平和な時代が訪れたことを何と言いますか。

回答&解説

回答:元和偃武(げんなえんぶ)

解説: 応仁の乱から続いた大規模な軍事衝突が大阪夏の陣を最後に幕を閉じ、平和な江戸時代が訪れました。1615年の7月には、元号が「慶長」から「元和」へとあらためられました。

参考資料

詳説日本史 山川出版社

詳説日本史図録(第8版) 山川出版社

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